月々と群青

「三月と群青」が好きすぎるオタクです、検索妨害になってたらごめんなさい

「手段と目的を取り違える」という言葉に文句が言いたい

言いたいんですよ

 

 

 

 突然言いますがタイトルの通り「手段と目的を取り違える」またはそれに準ずる言葉が嫌いなんですよ。多くの人はこの言葉を否定文句としてとらえています。ある人の行為について「あいつのやっていることははダメだよ、手段と目的を取り違えている」。先生が生徒に対して「手段と目的を取り違えたらいけないよ」。漢字の書き取りで「手段」と「目的」の回答欄を逆にして「手段と目的を取り違えちゃった」。最後のは別にいいです。じゃあ書くなよ

 

 

 そもそも人々が目的、ないし目標として掲げるものはすんごく大きくて壮大なものです。漠然としているものです。そして達成が一筋縄でいかないものです。そうでなければわざわざ目的としない。「私の目標はこの本を読むことです」。←この文章を読んだとき、あなたは無意識的に『この本』を分厚くて小難しい本だと思ったでしょう。ガロア理論の本とか、『モンテ・クリスト伯』とか、あとはなんだろう『銃・病原菌・鉄』とか?そうでなかったらわざわざ目標だとか目的だとか言わないよねっていう意識があると思います。東大合格とか、TOEIC850点とか。

 

 えてしてそういった目標というものは単純には解決できない。だから目的は小分けにするのです。東大理Iに合格したい。じゃあ数学80点英語70点国語30点物理40点化学30点センター810/900点で350点合格を目指そう。じゃあ数学80点取るために2完4半で2×20+10×4を狙おう。じゃあ東大の入試問題の傾向から考えてこの分野とこの分野は特に力を入れよう。他の科目との兼ね合いも考えて10月から過去問演習を挟むようにしてそれまでは青チャートを完璧に解けるようにしよう。英語はリスニングで7割取るためにこのくらいの時間を割くようにしよう。英単語は高2までに鉄壁の単語を完璧にしよう。英熟語もがんばろう。別にこの記事は東大に合格する方法論を教える記事ではないのでこんなことで文字数を書いても意味はありません。こういう風に目的を小分けにできない人は東大に受かりません。もちろん小分けにして落ちる人も大勢いますよ

 

 何が言いたいのか。こういう風に大きい目的を小分けしていること、それこそが手段の目的化じゃないですか。大きい目標を解決するための手段がある。その手段も難しいのでその手段を目的にして、その目的を解決するための手段を設定する。その手段を目的にして解決するための手段を設定する。手段の目的化こそが成長の秘訣です。

 

 東大合格に当てはめましょう。一番の目的は「東大に合格すること」。そのための手段が「数学で80点」かつ「英語で70点」かつ「国語で30点」かつ「物理で40点」かつ「化学で30点」かつ「センターで810点」。そのうちの「数学で80点」という手段→目的を達成するための手段が「2完4半」。「2完4半」を達成する手段が「確率分野このくらいやる、漸化式このくらいやる、複素数このくらいやる、求積このくらいやる、云々」。そのためには「10月からこういう問題を解けるように頑張る、それまでは青チャートを完璧に解けるようにする」みたいな。他には「物理で40点」という手段→目的達成するための手段が「力学分野で15点、電磁気分野で15点、熱力学で10点、波動分野は得意だから20点目標、原子分野は捨てる、このうち原子以外のどの3分野が来ても40点取れる」、それを達成するためには名門の森を解く、この問題集を完璧にする、単位変換に時間を取られないようにする、云々。。。これが高校生のうちからできる人間は東大に受かります、知らんけど。

 

 みなさんこのように考えているはずです。そうでしょう?大きな目標を達成するためには手段を目的化することが不可欠なはずです。なのになぜ人々は手段が目的になってしまっている人を馬鹿にするのか。

 

 こういう反論がされると思います。他の反論は思いつかない。

「我々が馬鹿にしているのは目的を達成するための手段の手段の方ばかりに固執して、当初の目的を忘れてしまっている人である。あなたの言う行為はそもそも馬鹿になどしていない」。

 

 でも私はこう言いたい。だったら「手段と目的を取り違える」っていう表現は間違ってね?????たしかにその人は愚かです。もっとよい方法があるはずでしょう。ならそう言えば?その愚かな人が犯している失敗は手段と目的を取り違えていることではなく、当初の目的を達成するための手段付けが間違っていることです。

 

 目的を解決する手段を正しく設定すれば、手段を達成したとたんに100%に近い確率で当初の目的が達成できます。数学の問題とかまさしくそうです。tanθの値が知りたい。そのためにはtan2θがわかればいい。こう補助円を描くとここに2θがある。ここのtan2θを求めるにはここの長さとここの長さを求めよう。こっちの長さはこれから求められてあっちの長さはあれから求められる。なるほど。論理学で言うと演繹法ってやつです。AならばBだ。BならばCだ。だからAならばCだ。これと一緒。

 

 だから、目的のための手段に固執していたとしても、その手段の設定が目的に適っていたら、その手段を実行できたら自動的に当初の目的が達成されるのです。もしある人が手段に固執していて、客観的にみてそれじゃうまくいかないよ~なんて思うことがあったら、その人の問題は「手段と目的を取り違えている」ことではなく「目的に対する手段設定が間違っている」です。そういう風に批判してほしい。

 

 

 

 

 さて、言いたいことも言えたことですし、私も就活で成功するための手段としてポケモンしてきます。じゃあね。